はまさか日記~澄風荘しょうふうそう~

兵庫県浜坂温泉・カニソムリエの宿・澄風荘の主人・スタッフが、但馬の文化や歴史、山陰海岸ジオパークのPR、浜坂の四季折々の魅力をお伝えしていきます。

前田純孝と葛原滋

この程、新温泉町浜坂で前田純孝追悼の集いが行われた。2月11日13:30より薄幸の歌人前田純孝(翠渓)没後100年の節目に彼の先人としての功績を讃え、遺徳を偲ぶ集いで、地元でつくる実行委員会が主催したものである。

 

純孝は、東京高等師範学校に入学後、与謝野鉄幹・晶子らと雑誌「明星」に多くの作品を発表した。その中に石川啄木もいて、鉄幹から東の啄木、西の翠渓と並び称された。

 

卒業後は、大阪の夕陽ケ丘女学校に教師として赴任した。しかし、結核にかかり妻子を残して、単身郷里の浜坂諸寄で闘病生活を余儀なくした。

病苦と貧困の中で、生と死を見つめながら多数の歌を書き綴った。闘病を余儀なくされた純孝を精神的にも経済的にも支えた一人が同じ歌人の友人葛原滋であった。

 

東京にいる葛原滋は、但馬の純孝から送られてきた歌を東奔西走して、出版社を駆けまわりお金に替えて田舎の純孝の元へ送り続けた。

菜の花で設えた祭壇を130名のファンが参列、諸寄吟詠会の皆さんが純孝の作品や与謝野鉄幹が純孝のために贈った追悼歌「まごころの光れる歌を猶よめば伝えて久しき若き純孝」などを朗々と吟じた。

 

記念公演は、大阪城南短期大学・佐藤隆一前学長が大阪で教員時代の純孝について話された。前田純孝と葛原滋

歴史探訪より 夕日の里。葛原しげる(1886~1961)は琴の名手の勾当の孫にあたる。教育者・童謡作詞者で、400以上

の校歌を作るとともに、日本の歌100選の「夕日」「村祭り」や「トンビ」がある。今年も月見の会、くずはら祭等で地元の子供やグループで歌い継がれている。夕日の歌・美しさは先日(091024)の「西日本の旅」(NHK)でも紹介された。

昨12月6日は第5回くずはら祭でコンサート・演奏や模擬店等で賑わった。

浜坂文学碑巡りシリーズ

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