はまさか日記~澄風荘しょうふうそう~

兵庫県浜坂温泉・カニソムリエの宿・澄風荘の主人・スタッフが、但馬の文化や歴史、山陰海岸ジオパークのPR、浜坂の四季折々の魅力をお伝えしていきます。

薄幸の歌人前田純孝

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兵庫県立浜坂高等学校の京阪神に住む同窓生で組織する阪神橘友会の総会で、地元新温泉町の先人の足跡にふれ、功績を称え、理解を深めるための講演会が行われた。

 今年の演題は「明治の歌人前田純孝」です。講師は浜坂高校の同窓生で橘友会副会長の新古雅紀氏が務めた。

 前田純孝は、東の啄木・西の翠渓と、与謝野鉄幹からその実力を並び称された。しかし、啄木も翠渓もともに若くして結核によって世を去るが、世の中の人々は一般的、大衆的啄木の詩風を受け入れ、その昔わたしたちの教科書にも啄木の詩は取り上げられていました。一方西の翠渓は、多くの世人との妥協を許さず、自分自身を徹底した絶望の淵に追い込みながらも、真実の中に唯一の表現を求めた。

 地元の人々でも多くは、翠渓の詩集を知ることもなく、また彼自身の名前さえ知る人は少なかった。

 一般的に知られるようになったのは昭和50年代NHKのテレビドラマ「夢千代日記」によって、翠渓の詩集が世に出され、にわかに脚光浴びるようになった、

 ところが、このことも限られた範囲の光輪であり、短い時間の光源でしかなかったか。

わたしたち地元の人間としては、翠渓詩集の本等の評価を世の多くの人々に問い直す努力を惜しんではならないと、新古氏の講演を拝聴して改めて思う。