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はまさか日記~澄風荘しょうふうそう~

兵庫県浜坂温泉・カニソムリエの宿・澄風荘の主人・スタッフが、但馬の文化や歴史、山陰海岸ジオパークのPR、浜坂の四季折々の魅力をお伝えしていきます。

70年目の終戦記念日

 今年は終戦から70年目にあたる。戦後生まれの私は、戦争の酷さを知らないが、唯一記憶にあることは、まだ4歳か5歳のころ祖母(母方)が毎日のようにして水色に白い字を書いた幟をもって山道を登って行くのを怪訝そうに見ていたことを覚えている。
 一度訪ねたことがあったが、何も答えてはもらえなかった。するとそれから暫らくして、山奥の私の生まれた小さな村に見たこともないような車が数台上ってきた。秋口の暗い夜半であったが、車の照明とその人たち(新聞記者だと後で知る)が盛んに焚くフラッシュ(その時は何もわからない)の明かりで暗い村は、昼間のような明るさになった。
 何事が起きたのか母に尋ねると、「おまえの伯父さんが満州(当時はそう呼ばなかった)から帰れることが分った」と、涙ながらに話してくれた。
 それから大きくなり、戦争の歴史も事実も理解できるようになって、10年近くも生死不明の人がわが身内にいて、祖母がその帰りを神社に必死に祈願していたんだなぁ、と理解が出来た。
 伯父は昭和29年秋、舞鶴港に着いて十数年振りに日本の地を踏んだ。二葉百合子さんの「岸壁の母」そのものであった。
 その後の叔父は、昭和の30年代前半、抑留生活の無理がたたって結核を患い長い闘病生活もした。 楽しい記憶は何一つなかったであろう叔父はシベリアの抑留生活を黙して語らなかった。
 ただ一度、昭和48年の秋ごろ、一度だけ私と母にだけ少し話してくれたが、シベリアの厳しい環境と強制的思想教育は、持論を曲げず妥協を許さなかった伯父は、10年間近くも抑留され,そのことは壮絶を極めたと想像する。