まんじりともしない長い夜が更けて六日の早朝、「花ちゃん今帰ったよ」と、言う夫文太郎の弱々しい声を花子さんは微睡みの中で聞きました。
「元気か?あんたさえ元気ならそれでいい」「ああ、やっと無事に帰ってきてくれた」と、思った途端、隣に寝ていた登志子ちゃんの泣き声で目が覚めました。
益々不安が募り、夜が明けるまでの時間がとても長く感じられました。
早朝、会社の上司であり、山の先輩でもある遠山豊三郎さんが、加藤文太郎が出社していないので、加藤の家まで訪ねてくれました。
花子さんはこれまでの委細を話し、遠山さんに相談を致しました。
遠山さんは、早速、山仲間を集めて善後策を立てられました。
「文さんに限って、」「文さんのことだ、いずれ何処からかきっと現れるさ」など、集まってくる山仲間たちは始めは楽観的雰囲気が支配的でした。
ところが、別の同行者(大久保・浜氏)から、加藤、吉田二人とは槍の山小屋で分かれ、両氏は北鎌尾根に向かったとの情報が入ると、雰囲気はにわかに一変し、緊張感が走りました。
早速対策本部が設置され、多人数の捜索隊が編成されました。
時間を追うごとに、もたらされる情報は、悪いものばかりでした。
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