はまさか日記~澄風荘しょうふうそう~

兵庫県浜坂温泉・カニソムリエの宿・澄風荘の主人・スタッフが、但馬の文化や歴史、山陰海岸ジオパークのPR、浜坂の四季折々の魅力をお伝えしていきます。

山での食事 加藤文太郎のこと6 

その当時の登山は、現在のような山ガールブームや中高年者が気楽に登れる状況ではありませんでした。

一部のブルジョワ階級や大学の山岳部が主流で、一般の人々は低い山々の登山を楽しむ程度でした。

ましてや、日本アルプスの而も冬山をたった一人で登攀することは、誰も考えも及ばないことでした。

彼らは、複数のメンバーでパーティを組み、案内人や剛力を連れております。

ある年の冬、大学生4名と案内人2名のパーティと山小屋で遭遇し、はじめに、後から来た口下手な加藤文太郎が、上手く挨拶が出来なかったことから、気まずい雰囲気になり、「案内人のいないものが山に来るべきでない」とか、一行の後をついて行くと「ラッセル泥棒」などとも言われました。

仕方なく一行と別行動をとった数日後、彼等の泊まった山小屋が雪崩に遭い全員が死亡といういたましい事件が起きました。

後ほど事件を知った文太郎は、彼等の死を悼むとともに其の一因が、自分にあるんじゃないかと、大変心を痛めました。

加藤文太郎は、三菱マンでしたから収入もそんなに悪くはありませんが、生活は質素倹約を旨とし、やがて挑戦するであろうとヒマラヤ登山のための貯金をしておりました。 

実際、加藤文太郎の山装備は、自分で工夫を重ねたもので、手づくりです(中には好日山荘という山装備・道具屋を営む島田真之介氏のところへ持ち込んで島田氏はそれを商品化したこともあったそうです。)

加藤文太郎の山での食糧は、他の人のように山小屋で薪を炊いて食事を摂ったりはしませんでした。

彼は、単独行にこのように、書いています「山行の経済は、また私にとって相当の問題を提供する。しかし、これは他人が考えるほど、私にとって問題ではない。私は要するにごく簡単なのである。山より他に金の使い途をしらないのだから、それに、私の山行ではガイドやポーターといったものにいささかの支払いもなくて済むし、食糧や道具は普通の人から見ればごく簡単なものである。」

実際、彼の食事は簡素で、餡入りの餅、カマボコ、干し魚、甘納豆、レモンティー等です。これらは軽くて携行に便利で、その上アルコールランプでコッフェルに湯を沸かし、これらの食糧を湯の中で温めて食べます。これで体は温まり、安価で済みました。

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