文太郎は、翌10年1月16日長田神社で、同じ浜坂生まれの下雅意花子さんと挙式し、神戸で新婚生活を始めます。
その後、郷里の浜坂で結婚披露宴のため帰郷するが、途中、扇ノ山などに登りながら帰ったため、披露宴に大変遅刻して、花嫁の花子さんをやきもきさせたのは有名な話です。
11月に長女登志子さんが生まれたが、12月29日吉田富久の待つ槍ヶ岳へと出かけて行きました。
3.単独行(者)と孤高の人
加藤文太郎記念図書館の資料 『単独行』私家版加藤文太郎遺稿集単独行
単独行は、加藤文太郎の死後、彼の捜索のための資金カンパされた浄財が残ったので、遠山豊三郎氏を中心に、加藤文太郎が遺した山の記録やRCC及びケルンに発表したものを編集して、「加藤文太郎遺稿集単独行」として私家版発行されたものです。
この原本は、現在「加藤文太郎記念図書館」を始め数冊しか遺されておらず、大変希少価値の高いものです。 一般的には昭和 16年朋文堂から商業出版物として初めて刊行されて、世の中に広く知られるようになりました。
この単独行は、山に登る人にとっては「山のバイブル」として必読書になっております。
その後、増版に増版を重ね、昭和45年二見書房が発刊し、永遠のベストセラーと言われてきました。
平成12年山と渓谷社が、二見書房から版権を買い取り現在にいたっております。
単独行は、加藤文太郎の飾らない文章と自らの正確な山の記録と山に対する真摯な気持が詰まった一冊だと、私は思っております。
「単独行の加藤」「不死身の文太郎」と世間から標榜されながらも、何ら驕ることなく、自らの弱点の岩登りや直滑行の加藤と揶揄されるぐらい有名な下手なスキーについても、単独行には正直に記述してあります。
一人で誰もいない山に登ることだから、其の記録は証明のため刻銘しておかなければならないし、あたりの山頂の景色は写真として遺しておりました。
この単独行の史実に基づき、作家の谷甲州氏が、平成20年から山と渓谷で小説を連載し、22年に描き下ろし、500ページにも及ぶ、大作が加藤文太郎伝「単独行者」(アライゲンガー)です。
浜坂へ単独行者の取材に来られた谷甲州先生
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