はまさか日記~澄風荘しょうふうそう~

兵庫県浜坂温泉・カニソムリエの宿・澄風荘の主人・スタッフが、但馬の文化や歴史、山陰海岸ジオパークのPR、浜坂の四季折々の魅力をお伝えしていきます。

加藤文さんは今も生きている 加藤文太郎ふるさとの碑 加藤文太郎のことその11

4.加藤文さんは今も生きている

加藤文太郎とごく親しい山仲間であった多田繁次さんや永楽孝一さんは、「加藤文さんは今も生きている」と、言われました。

実は、私もそう思っている一人です。

加藤文太郎から影響を受けた人は、植村直己さんを始め久谷の尾崎収さんなど多くの人たちがいます。文太郎を顕彰することで、沢山の人々との出会いがありました。 その出会いを大切にすることで、着実に町に力が創出されると私は信じています。

新温泉町浜坂の芦屋城址の城山園地から、日本海を一望しながら約900m、山道を(孤高の道)抜けると、浜坂の市街地を見下ろす高台に石碑が建てられているのが「加藤文太郎ふるさとの碑」です。

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 昭和45年、全国高等学校登山大会が但馬で行われた際、当時、高校の教師であった山本茂信先生は、「折角全国から大勢の高校生が加藤文太郎のふるさとまで来てくれるのに、何もなかったでは心さみしい」と、多くの関係者に掛け合い、顕彰碑が建立され、盛大な除幕式が行われました。

加藤文太郎ふるさとの碑は、新田次郎氏や夫人の藤原てい氏を始め、全国から多くの文太郎ファンがこの地を訪れ、彼を愛する人達の交流の場所となっています。

数年前には、『単独行者」を書いた谷甲州さんや高校の校長先生を最後に退職された後、日本列島を鹿児島から北海道まで徒歩で縦断された山形の長澤明先生も、その途中に立ち寄られました.

二十年以上も前から、浜坂の山にブナの木を植えて下さるグループがありますが、この会の創設者は加藤文太郎と非常に縁の深い津田周二さんであり、そのメンバーも多くが加藤文太郎の山仲間であった方々で、現在も引き継がれてその活動が続いております。

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