三国志の中で劉備玄徳は、諸葛孔明と自分との関係を魚と水に譬えて、言うなればちょうど、魚に水があるようなものであると言ったという。
後の人は、これを水魚の交わりといった。
春秋時代、斉の管仲と鮑叔の友情関係を管鮑の交わりと言って、何時も鮑叔は管仲の能力も志も家庭の事情もすべて理解できた。
「宰相の後任には誰にしたらよいか?鮑叔はどうか」と尋ねるが、
管仲は「鮑叔は駄目です」と応え、他の人を推薦した。
管仲を桓公に推薦して宰相にまでのぼりつめさせたのは鮑叔であったが、自分を推薦しない管仲に鮑叔は怒らなかった。
自分の能力を一番よく知っているのは管仲であることを鮑叔は知っていたからである。
しかし、桓公は管仲の死後、管仲が最も避けなければならない人物を宰相にした。桓公の死後斉の国は急速に衰えていった。
また、趙の国の藺相如と廉頗の友情を刎頸の交わりという。
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