囲炉裏で海賊焼きと言うことで、澄風荘に脚をお運び下さいました。浜坂の海で揚がった魚介を炭火焼きでお召し上がり頂きました。
朝食はテーブルのお部屋でごゆっくりとしていただきましたが、浜坂出身の加藤文太郎のことと藤木九三さんの関係を尋ねられました。
藤木さんは、京都府福知山市の出身で、藤木氏は日本山岳界の先駆者で、当時登山界の第一人者でした。
朝日新聞社に勤務されていて、また詩人であり、随筆家でもあって昭和の初期の国語の教科書には夏目漱石や島崎藤村などと一緒に氏の随筆も拝見されています。
また、高校野球でお馴染みの甲子園球場のアルプススタンドの命名者でもありました。
大正15年、秩父宮殿下をアルプス・マッターホルンにご案内をされた時のアルプスの情景を思い浮かべて、昭和4年、甲子園球場が拡張された高いスタンドをバックネット裏から高校野球を観戦しながら、そう呼んだとされています。
また、神鍋スキー場を始め、但馬のスキー場開設にも指導力を発揮して、大きな影響をあたえました。
昭和30年代の第一次南極観測越冬隊には、極寒気の山岳の体験を南極の越冬に生かすべく、指導しています。
加藤文太郎は、藤木さんから本格的な登山の指導を受け、昭和4年から冬山登山に傾倒するようになり、単独での冬山縦走を行なって、「単独行の加藤」「不死身の加藤文太郎」と呼ばれるようになり、超人的な記録を次々に打ち立てました。