この季節の天気予報は、桜の花の開花予想や雨に濡らされて散る心配などが話題だ。今週の土曜日、誘われて花見に行くことになっていて、天気予報がとても気になるところである。
在原の業平の詠んだ和歌に「世の中に絶えて桜の花のなかりせば春の心はのどけからまし」がある。いつの時代も時を超えても桜の花は、日本の人々の心を離さないものがある。
ところで今朝のテレビ番組で紹介された福岡市の桧原の桜物語である。
昭和59年の春、9本あった桜の木が1本道路拡張工事のため切り倒されていた。残りの8本も間もなくの運命であった。それを見た市民の一人が、当時の市長あてに一首の和歌を詠み、「花あわれ せめてはあと二旬 ついの開花をゆるし給え」と、残された桜の幹に短冊にして下げた。
この短冊を目にしたある会社の社長が、部下にこの話を語った。その部下はその桜の幹に掲げられた短冊を見に行き、多くを語らず知り合いの新聞記者に連絡をした。
翌日の地方紙の社会面のトップにこの花あわれの記事が掲載された。誰の話の中にも道路拡張の必要性から拡張反対や中止の声は聞かれなかった。
しかし、この記事を目にした当時の市長は、例え市長であっても私情で、すでに始まっている工事を止めさせるわけにはいかず、花を愛するあなたの心は受け止めました、「花おしむ 大和心はうるわしや とわに匂わん 花のこころは」との返歌をこの桜の幹に下げた。
そしてこの市長は「桜の花の開花が終わるまで、何とか工事を遅らせることは出来ないだろうか」と、工事担当者に要請した。
その工事担当者は、大幅の予算超過に苦悩しながらも、花をあわれむ多くの町民の声を力に思い切って工事変更をして、彼は桜の木を残す決断をした。
道路拡張分だけわきの池を埋め立てて工事を進め、おまけに歩道と小公園まで作り、桜は活かされることになった。
まさに桜の木をあわれむ、人々の小さな心のリレーであった。