中国の歴史が好きで、宮城谷昌光氏の小説や歴史本を読んでいます。
自分の知識の整理のためにも、殷(商)の時代から三国時代までまとめてみました。
殷王朝首都(BC1350 - 1046)の遺構 photo by Naus (Wikipedia English version) [GFDL 1.2, GFDL or CC-BY-SA-3.0], via Wikimedia Commons
【追記】id:nagaichi さんより間違いのご指摘がありました。訂正しました。
ご指摘ありがとうございました。
中国の歴史に学ぶ1 殷の紂王と妲己 - はまさか日記~浜坂温泉・澄風荘~
- [先秦]
傑じゃなくて桀、蕩じゃなくて湯な。商の地というのは、安陽殷墟のことでな。当時は大邑商とか天邑商とか称してたんだよ。
2016/06/24 23:18
歴史を学ぶ意義
4千年とも五千年ともいわれる中国の歴史、それは悠久の大河の流れの中にある。
しかし、そのわきの小さな流れのなかにも様々な史実や逸話があって、むしろそこにこそ先人の知恵や言行に綺羅星のごとく光るものがあるような気がする。
それは、いろんな故事に富み、私たちに生きるための機智やを教訓を示唆してくれる。
「愚者は成功に学び、賢者は失敗に学ぶ」と史家は言う。
神話、伝説から夏を経て殷王朝へ
中国の歴史は天地開闢以来、神話、そして三皇五帝の聖人が治める伝説の時代から夏を経て、史実として残る商(殷)王朝につながる。
商の前の王朝に夏王朝があったとされるが、歴史的資料に乏しく、今はまだ伝説の範疇に含まざるを得ない。
夏王朝の前を聖人の時代と言い、堯、舜、禹と聖王の禅譲が続いた。禹も他の者を推薦しょうとしたが、人々は禹の世子を後継に選んだ。そこから世襲の時代となる夏王朝が始まったとされている。(紀元前2070年ごろ初代の禹から末代の桀、紀元前16000年ごろまで17代、471年間続いたとされる)
夏王朝の最後の王、桀は殷の最後の紂王と同じように暴君で、女、酒におぼれ、夏王朝はここで終焉を迎えた。
この夏を倒したのが商の初代の王、湯で(始祖契 (せつ) から数えて第 14世にあたる)料理人出身の伊尹が、湯王をたすけて商王朝が始まる。
日本では、遺跡の殷墟が有名で、一般的には殷と呼ばれたが、商の地が王朝の原点であり、中国では商と呼ぶ。商の政治体制は、王が占いを行う神権政治をすすめた。
殷の紂王と妲己
商王朝(紀元前1600年ごろから紀元前1100年ごろまで約500年続く)は、最後の王となる「酒池肉林」の紂王と妲己が有名であり、かれは暴君で廃退的な行為が王朝の衰退を招き、次の周に倒される。
しかし、商王朝時代の功績も大きく亀甲文字の発見や青銅器の使用、商業の発祥(貝を使用した貨幣の交易)はここにあると言われている。
横暴極まりない紂王ではあるが、若い頃は有能な人物だったとも言われている。しかし、寵姫妲己を傍に侍らせるようになってから彼の堕落が始まった。
紂王と妲己の悪行
横暴の限りを尽くした紂王と妲己の有名な悪行の中でも、「炮烙」「酒池肉林」は有名だ。
炮烙とは
猛火の上に多量の油を塗った銅製の丸太を渡し、その熱された丸太のうえを罪人に裸足で渡らせ、渡りきれば免罪、釈放するというものである。『史記』によれば、暴君であったとされる殷最後の君主帝辛(紂王)と、その愛妾妲己が処刑を見世物として楽しむために考案したという。 罪人は焼けた丸太を必死の形相で渡るが、油で滑って転落しそうになる。丸太にしがみつき、熱くてたまらず、ついには耐え切れずに猛火へ落ちて焼け死んでしまう。この様子を観ながら紂王は妲己と抱き合いながら笑い転げたという。
油で滑る熱い丸太の上を歩かせ、落ちそうになる姿を見て笑う…。
酒池肉林とは、殷の紂王と妲己が行ったと言われる「酒をもって池と為し、肉を縣けて林と為し、男女をして倮(ら、裸の異字)ならしめ、あいその間に逐わしめ、長夜の飲をなす」享楽の極みの宴のこと。
紂王には箕子と比干という賢人がいた。箕子は狂人を装って奴隷として生き延び、朝鮮に封じれた後に、箕子朝鮮を建国した。比干は紂王に炮烙のような暴挙をやめるよう諫めたため、紂王は怒り、「聖人の心臓には七つの穴が開いているという心臓を抉り出され死んでしまった。
人間の心のなかの悪ー「酒池肉林」
紂王と妲己には、底なし沼のような悪、享楽に溺れる心があった。それが現れたのが「酒池肉林」。
妲己は中国の伝奇小説『封神演義』やそれを原作とした漫画『封神演義』(
藤崎竜)『殷周伝説』(横山光輝)では妖怪、妖女として描かれる。
これらの作品で描かれる妲己は、人の倫理を試し問い詰め脅かす姿から映画「ダークナイト」のジョーカーのような、純粋悪そのもののような存在に思える。
そう考えると、妲己の悪行の目的は、人間の本性は悪である(性悪説)を証明するためなのかもしれない。
商王朝に対する怨嗟の声は、中国各地に拡がってはいたが、王朝の力はまだまだ大きく、商王朝から西伯に任ぜられていた昌(後の周の文王)は、商を倒すには自国の力を蓄え、新しい人材の発掘が必要だと考えていた。
歴史を紐解くと、優秀な権力を極めた天下人もたった一人の女に溺れ、堕落してしまうという例は数多くある。殷の紂王に限らず「酒池肉林」は誰の心にもあるのかもしれない。
かにソムリエ 谷岡 整
続きはまた。
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