山名一族の末裔 但馬国と因幡の国

竹田城は、山名持豊(宗全)の時代に築城したが、城主は重臣の太田垣氏に委ねていた。 応仁の乱の西方の総大将に任じられた宗全は、東方の総大将であった細川勝元との京の町を二分した戦いは10年以上に及んだ。 そもそも応仁の乱は、足利幕府の跡目争いが発端で、将軍の義政は、銀閣寺などの東山文化に象徴されるように…