山の師 藤木九三さん
藤木氏は日本山岳界の先駆者で、当時登山界の第一人者でした。
藤木氏は、朝日新聞社に勤務していて、また詩人であり、随筆家でもあって昭和の初期の国語の教科書には夏目漱石や島崎藤村などと一緒に氏の随筆も拝見されています。
また、高校野球でお馴染みの甲子園球場のアルプススタンドの命名者でもありました。
大正15年、秩父宮殿下をアルプス・マッターホルンにご案内をされた時のアルプスの情景を思い浮かべて、昭和4年、甲子園球場が拡張された高いスタンドをバックネット裏から高校野球を観戦しながら、そう呼んだとされています。
昭和4年(1929年)の夏の甲子園大会が8月13日から始まり、新設のスタンドは白いシャツ姿の観客で、超満員になりました。当時は、庶民のシャツもアンダーシャツも白一色でした。
それを見て、藤木さんはアルプスを連想しました。
その話をもとに、画家の岡本太郎さんの父、人気漫画家の岡本一平さんが、朝日新聞に書いた漫画に「ソノスタンドハマタ素敵ニ高ク見エル、アルプススタンドダ、上ノ方ニハ万年雪ガアリサウダ」
という一文をを添えました。
また、藤木さんは神鍋スキー場を始め、但馬のスキー場開設にも指導力を発揮して、大きな影響をあたえました。
昭和30年代の第一次南極観測越冬隊には、極寒気の山岳の体験を南極の越冬に生かすべく、指導しています。
加藤文太郎は、昭和4年から冬山登山に傾倒するようになり、単独での冬山縦走を行なって、「単独行の加藤」「不死身の加藤文太郎」と呼ばれるようになり、超人的な記録を次々に打ち立てました。
しかし、毀誉褒貶もあって、驚異的な記録にも懐疑的な陰口もあったし、単独行での登山自体を否定する人たちもありました。