昨夜、縁あって元巨人軍桑田真澄氏の講演会に出かけたのは昨日のブログに載せたが、氏の話の中で何度も挫折を味わった時、いろんな方々との縁や巡りあわせによって運よく救われたことの話であります。
PL学園の野球部には入れて意気揚々としていた時、その出鼻をくじかれたのが同じ元巨人軍の清原氏とのあまりにも大きい体力の差でした。
母親にPL学園をやめたいと訴えたところ、母親の一言でようやく思いとどまり、多くの人と人の縁に触れ、運に恵まれ挫折から這い上がったエピソードを実は7年前このブログに載せていたことを思い出しました。
僭越ですが、ご紹介させてください。
「2008年6月22日の日本TV「いつも波瀾万丈」のゲストは元巨人軍投手桑田真澄さんでした。番組の中のエピソードとして、高校時代の恩師清水一夫さんのことが出て参りました。
清水さんは、報徳学園や社会人野球の神戸製鋼で大活躍された監督でした。今日の番組では、球拾いの一年生桑田を一躍甲子園の優勝投手に仕上げたことが話されました。
球拾いの桑田がセンターから返球する球の回転を見た清水さんは、早速投手として鍛え、夏の府大会に桑田をエースとしてマウンドに送ったのでした。これまでも、清水さんは多くの選手を見出し、名伯楽としてその名をほしいままにした人でしたが、中でも最高の傑作は桑田投手ではないかと思います。
もう一つのエピソードは、あまり知られていないことですが、その後交通事故でのリハビリで浜坂温泉に毎週のように通われた清水さんから、お聞きした清水さんと桑田投手のエピソードです。
清水さんが同乗していた車が高速道路で大事故に遭い、数ヶ月意識のないままを送っていたときのことです。近くの高校のグランドから聞こえて来るノックの音に、意識のない清水さんの眼が、微かに反応するの見た担当医が、「もしや」と甲子園や巨人で活躍する桑田投手のVTRを繰り返し見せたそうです。すると不思議なことにやがて清水さんは死の淵から這い上がり、意識を回復することが出来たそうです。清水さんの桑田投手への想いと野球に対する飽くなき執念が奇跡的回復をもたらしたものでしょう。
桑田さんの偉いのは、幾らプロ野球で成功しても恩師への感謝の念は変わらず、永遠の指導者として生涯清水さんを忘れなかったことでしょうか。
そのことは、今日の番組を通して改めて感じました。」