中国の歴史に学ぶその2です。以前に書き溜めたものを編集しつつupしています。
天下を釣る(てんかをつる)
明初に描かれた渭水での呂尚と文王の邂逅
Dai Jin [Public domain], via Wikimedia Commons
日本では釣り好きな人を「太公望」と呼ぶが、周王朝の建設に大きな貢献をしたのが、この太公望呂尚であった。
ある日、昌に(周の文王、まだ天下を取っていない時)祖父である古公亶父の代から求めていた優秀な人材に今日は会える、との夢のお告げがあった。
はたして、昌(文王)がある川の畔を通りかかると、一人の男が釣りをしていた。
昌が近づき「釣れますか」と尋ねると、その男は「魚を釣っているのじゃない、天下を釣っているのです。」と、答えた。
昌がよく見ると、釣り糸の先の針は、曲がっていなくて真っ直ぐであった。
昌は、この人こそ私たちが祖父の時代から探し求めていた人だと、大喜びで自らの師として、丁重に迎えることにした。
覆水盆に返らず(ふくすいぼんにかえらず)
太公望呂尚は、若いころは書物ばかり読んで、稼ぎが少なかったので、彼の妻は、そんな呂尚に愛想をつかして、家を出ていった。
呂尚が、文王をたすけて商を滅ぼし、周王朝の設立に貢献して、斉の国主に封じられると、昔、離縁したその女が復縁を求めてきた。
呂尚は、可哀想に思い、器に入れた水を遷してもとに戻すことが出来たら「汝の言うことを叶えよう」、と言った。
周王朝は、実質二代目の武王から始まるが、武王は創業の辛苦があって、まもなく亡くなり、次の幼い成王が跡を継ぐことになった。
この幼い王の成王を補佐して、周王朝を支え、王朝の礎を築いたのが、武王の弟の周公丹であり、太公望呂尚や召公であった。
周王朝は(紀元前1046年から紀元前256年)時代を経て、王朝の権威は徐々に廃れ、幽王の時代、紀元前771年ある事件が起き、一旦西周の終焉を迎える。
笑わぬ后褒姒
By Wang Hui 王翙 (1736-1795) (Bai Mei Xin Yong Tu Zhuan 百美新詠圖傳) [Public domain], via Wikimedia Commons
褒姒 (ほうじ) 周の12代幽王は、申から来た皇后と皇太子を廃して、褒姒を皇后にしたが、この女性はどんなことがあっても笑うことがなかった。
幽王は、そんな褒姒の笑う顔が見たかったが、ある時、外敵が攻め込んできたと、間違って狼煙が上げられた。
諸侯は競って、王府へはせ参じてきた。
何事もない状況にみなが「キョトン」、とした顔をした。
その滑稽さを見た褒姒が初めて笑った。幽王はそのことが嬉しくなって度度狼煙を上げさせるようになった。
そのたびに、諸侯は王府へ馳せ参じて、褒姒を笑わせた。
しかし、終いには狼煙が上げられても諸侯は来なくなった。
そのうち、本当の外敵が王府に攻め込んで来たが、狼煙を上げてもだれも馳せ参じるものはなかった。
幽王は殺され、褒姒は捕えられて行方不明になり、ここで西周は滅んだ。
まとめ/傾国の美女
褒姒は、殷の妲己や、夏王朝の末喜とともに「傾国の美女」と並び称される。
その美貌により君主を惑わし国政をないがしろにし、国を滅ぼしてしまうような女性をいうが、本当のところはどうなんでしょうね。
歴史を語るのは大抵男だから、男が堕落したのを女のせいにしているだけのようにも思える。
それに比べて、太公望呂尚は女に溺れず、しかし離縁した女が都合のよいことを言ってきても「覆水盆に返らず」と諭すところがしゃれていて器が大きい。
天下国家を語っていても、現実の一人ひとりの関係にとらわれてしまう、そんな人間臭さに共感できるのも歴史の面白さの一つでしょう。
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