栃の木 栃の実の思い出
栃の木は奥山の湿帯に植生する落葉性の広葉樹です。巨木となると高さ30M、根元の幹回りは1Mを超えるものもあります。
5月から6月にかけて白い花を咲かせます。
この花にミツバチが集まり、マロニエの香りのよい蜂蜜を採取することができます。
9月ごろには硬い果実をつけ、熟すにつれてこの果実が割れて、栗の実に似た種子が出てきて地上に落下します。
この種子はこのままでは食べることはできませんが、渋抜きをして食用の貴重品となります。
昔、今のように米が有り余っていなかった時代、栃の実は米の代用となっていましたが、現代のような希少品扱いをされませんでした。
栃の山の口
幼少のころ、秋口のある朝、目が覚めると薄暗い家の中には誰もいません。4人兄弟の私たち子供だけです。
村中の大人たちは、夜明けを待って挙って奥深い山の中に分け入ります。その日は栃の山の口と言って、栃の実を拾うことのできる初日となります。
栃の実拾いは数日間続きます。栃の実は、藁で編んだ大きな袋に詰め込んで、幾つも深い山の中から運び出されます。
栃の実は秋の日差しを受けて、よく乾かしてから保存食として倉庫に保管されます。
栃の皮むき
秋が更けて木枯らしが舞う頃になると、囲炉裏には大きな鍋に栃の実が湯がかれ、その周りに家族皆が集まり、栃の実の皮むきが行われます。
祖母の指図で、母が熱く湯掻かれた栃の実を特別に木で作られた器具を使い実を捻ると、硬い種皮が割れます。
その割れた栃の実は、眠気を凝らして私たち兄弟が中の実と皮に分ける作業をおこないます。
そのときお手伝いの駄賃は決まって干し柿でした。それがとても嬉しかった時代でした。
栃の実をあわせる
皮を剥した栃の実は、とても苦くてこのままでは食べることができませんが、広葉樹から採った灰と上手に調和して栃の実の持つ渋みと苦みを抜き取り、栃の実独特の風味だけを残します。
母が栃の味を確認するため少しだけ栃餅をついて、皆で試食をします。母は、その実を背負って、浜坂の町に売りで出かけていました。
毎年のように待っていてくださったお得意さまやわざわざ黒い餅をなぜ食べなければならないと、時には嫌味を言われる方もおられたみたいでした。
米一升と栃の実一升の均等な価格の時代でした。今では、栃の実は近くのスーパーで4千円近く出さなければ買えない時代になりました。
浜坂の銘菓「とち餅」
新温泉町浜坂の老舗和洋菓子店「新杵製菓」の銘菓「とち餅」
栃の実の素朴な香ばしい風味としっとりした餡がマッチしたとち餅は浜坂のおみやげとして人気があります。
お土産として私もよく使います。
栃の木を植える 山の日制定の年を記念して
先日、ふるさとの山に栃の木を二本植えました。これは8月11日加藤文太郎ふるさとの碑を訪ねる記念に続く、私たちのささやかな事業です。
この木は50年先、いや100年経ってもまだ実を付けないかもしれませんが、将来の希望の木となることを夢見たいと思います。
かにソムリエ 谷岡整