「松籟庵」でレコード鑑賞会
先日、かにソムリエのメンバーと連れ立ってJR浜坂駅前にある「松籟庵」に蓄音器(レコードプレーヤー)でのレコード音楽鑑賞に出かけました。
(ここはそもそも、新温泉町にいらしたお客様に町の見どころやまち歩きのご案内をすることで、観光協会が運営管理をしているところです。)
私は蓄音器という音の響きには、木箱に詰まった小さな鉄の針が思い浮かびます。
小学校の頃、学校の先生がハンドルを回してゼンマイ仕掛けの蓄音器て一曲ごとに針を変えながら音楽を聴かせてくださいました。
やがてすぐに電気蓄音器に変ったが、蓄音器針は一曲ごとに取り替えていたことには変わりありませんでした。
7年ほど前、ピアニストの辻井伸行さんのコンサートをわが町で開催する企画で、伝手を頼って奈良に赴いた帰り、篠山の骨董屋さんに立ち寄ったとき、そこの主人が古い蓄音器と浜坂産という古びた針で音楽を聴かせてくださいました。
柔らかい音色に少し雑音の混じった響きは、郷愁を誘います。
*辻井伸行氏のピアノのコンサートは、平成24年3月23日鳥取市の梨花ホールで開催され、コンサート終了後私たちかにソムリエが活松葉かにで御持て成しをいたしました。
わたしが高校生になった頃、鉄のレコード針が宝石針に変わったことを知らされ、またそれが日本有数のレコード針のメーカーがわが町に誕生したことで、一層の驚きと喜びを感じたことを思い出します。
しかし、数十年前からアナログの時代が終焉しどの分野でもデジタルの世界を迎え、やがて音楽もレコード針を必要としないCDで聴く時代になりました。
浜坂のレコード針
ところが、最近色んなところでアナログの良さが見直されてきた。特に、音楽の中でそのことが顕著に現れてきているらしく、新温泉町の日本精機宝石工業の宝石レコード針が静かな人気を集めて業績を伸ばしていると聞き、大変喜ばしいことだと思います。
浜坂針の歴史 市原惣兵衛
戦後の一時期、新温泉町浜坂は日本有数の縫い針の産地で栄え、みすや針として多くの雇用を創出しておりました。
その針の製造は、縫い針の衰退で形を変え、今では様々な分野での先端部を担うものに変化しています。
そのような中で、レコード針の再ブームは地域産業にとっては明るい兆しとも言えます。
浜坂針の始まりは19世紀初頭、市原惣兵衛が長崎に留学した際、針の製造技術とともに職人二人を連れ帰ったことによると聞きます。
今でも新温泉町浜坂の針に関わる人達は、毎年市原惣兵衛の功績に感謝して針供養を行っています。
澄風荘でも先月、レコードプレーヤー買ってロビーに置いています。レコードの音は柔らかく懐かしく、とても聴き心地が良いです。
レコードが聴きたくなり、ロビーにレコードプレイヤー置きました。日本精機宝石工業など浜坂はレコード針の産地でもあるんですよ~。街歩き案内所松籟庵では浜坂のレコード針でのレコード鑑賞会もあります。https://t.co/bs2G4tO5eB pic.twitter.com/MN9urZq30i
— かにソムリエの宿 澄風荘@はてなブログ (@syofuso) 2017年5月23日
CDと違って針を変えたり、手間がかかりますが、そこに愛着が湧きます。古いものも新しいものもつながっている、そんな感慨を大事にしていきたいと思いました。