孤高の人は、新田次郎氏の小説で、山と渓谷から昭和38年より連載され話題になり、山を知らない多くの人たちにも加藤文太郎のことを広く知って戴くきっかけとなりました。
新田氏は、気象庁の職員であった当時、富士山測候所に交代勤務で登る途中、五合五勺目で、一度だけ登山中の加藤文太郎にあったことがあり、まるで天狗のような速さで富士山を登る加藤文太郎の姿が脳裏に焼き付いていたそうです。
孤高の人執筆の取材で浜坂を訪れた新田次郎氏は、花子さんから「小説は加藤文太郎と、実名で書いてください」と、釘を刺されたそうです。
たとえ小説であっても、ご遺族やご親戚がおられるから変なことは書けなくなり、この釘は、最後まで、新田次郎氏の筆を抑えたそうです。しかし、加藤文太郎という人は誰から聞いてもとてもいい人で、実名でなくとも、やはり「孤高の人」の中に出てくる加藤さんを書くことになったと、新田次郎氏はそう述懐しています。
夫がモデルの小説を実名で書かれることを譲らなかった花子さん。彼女の、夫を誇りに思う気持と実名で書かれることを覚悟する潔さの表れなのでしょうか。文太郎の生き様を偽りなく知って欲しい、夫の名を美しく残したい、そんな思いがあったのかもしれません。
小説取材で浜坂を訪れ、加藤文太郎の墓参をされる新田次郎氏
山と渓谷「孤高の人」連載第一回
関連記事