宮城谷昌光氏の三国志も第9巻に入ったところ、三国志にはない逸話であるが、曹丕と曹植二人の関係は父である曹操や母の卞氏の感情が弟の曹植に傾いていたこともあって微妙なものがありました。
曹操も優れた文人でありましたが、それ以上に曹植はすばらしい詩を遺しておりました。
後継者としての企図を曹植が持ったわけではないが、父の曹操の死後、後継争いの凝りを曹丕は曹植に示しました。
「お前は詩作に優れていると言われているが、兄弟という題で七歩歩く間に詩を作ってみよ。出来なければ処罰する」と、言いました。
豆を煮て持って羹(あつもの)を作り[豆支](し)を漉(こ)して以って汁と為す
まめがらは釜下に在りて燃え豆は釜中(ふちゅう)に在りて泣く
本、同根自(よ)り生ず相(あ)ひ煎(に)ること何ぞ太(はなは)だ急なると
曹丕はは深く慙(は)ずる色有り
曹丕は曹植に七歩歩くうちに詩を作らせ、もしできなかったら重刑に処そうとした
曹植はその言いつけに従ってすぐさま詩を作り詠った
豆を煮て吸い物を作り
味噌を漉して汁物を作る
豆がらは釜の下で燃え
豆は釜の中で泣いている
もともと同じ根から生まれた物なのに
どうしてこんなにまで煮て、ひどく苦しめるのですか
これを聞いて曹丕は深く恥じ入った面持ちであった
曹植は見事その難問に答え、危機を逃れた。
詩文という芸で自分自身の身を助けたのである。
「七歩の詩 曹植」より
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